rikon_kowaiの日記

今まさに夫から離婚を迫られている妻のブログです。

田舎を出る その2

5月12日:

田舎を出る準備を始めていた。

夫の幼馴染にも少し話をしたが、今の夫では私は幸せになれないから、別れた方がいいと言われた。

私も頭の中では整理がついていたので、その通りだと言った。

東京で出会った、私が好きだった夫はここにはもういないように感じた。

 

午後、夫が生活費について話しはじめた。

ここでもレコーダーを撮っておけば良かったが、できていなかった。。

 

・慰謝料300万しか払う気はない

・すぐに離婚して欲しい

 

と夫は言った。

いろいろ調べたが、300万が妥当だと言った。

私には何一つ飲める条件ではないことを伝えたが、だったら裁判しかないと夫は言った。

 

 

その夜、夫の尊敬する地元の先輩が「ちょっと出かけよう」と誘ってくれた。

その先輩も、奥さんの実家であるこの田舎に来て、とても苦労をしており、私とも心境が似ていた。

田舎に来たばっかりの頃から、本当にお世話になり過ぎる程、お世話になった。

夫のこれからが心配なので、そのことを沢山話した。

夫のことを見守ってくれる人が居てくれて、安心したし、その先輩とはこれからも連絡を取れるよう、連絡先を交換もできた。

この日も夫は帰ってこなかった。(車で寝たのだと思う)

 

5月13日

生活費を払ってくれないのであれば、夫の両親に相談すると私は言った。

夫の両親は離婚していたが、それぞれ田舎で住んでいる。

夫はもちろん「嫌だ、迷惑を掛けたくない、それなら裁判だ」と言った。

離婚届も2年先じゃないと無理だと私は伝えた。

なぜ、夫が夫の好きな相手に告白するために私が慰謝料や生活費を妥協しなければいけないのか、意味が分からないということも伝えた。

生活費も結局払うしかなさそうだが、別件でお店を始めようとしていた融資が下りるまで待って欲しいと言われた。

1000万も離婚に払うのかと言われたが、この時点では夫はまだすぐに離婚して彼女に想いを伝えようとしていたのだと思う。

 

その日はリモートの仕事があったが、夫とは一緒にいたくないため、義母の家で仕事をさせてもらった。

お昼を義母に作ってもらい、一緒に食べた。

 

田舎を出る前に身ぎれいにしようと、まつエクに行った。

施術をしてくれるのは夫の同級生なので、夫の今回の経緯を全て包み隠さず話した。

(こんな田舎街だから、ウワサは流れる。腹黒い気持ちもあった。)

 

家に帰ると夫がいた。

私の条件を全部飲むと言ってくれた。

幼馴染が説得してくれたようだ。

結婚の責任や夫としての責任について。

拍子抜けする気持ちだったが、もっと泥沼化すると思っていたので安心した。

が、夫はまだ好きな彼女への配慮からか、誰に今回の件を話したのか、しきりに聞き、彼女には迷惑を掛けたくないと言った。

迷惑掛かっているのはこっちだし、正直、その彼女も妻のある男の人と頻繁に連絡をとるのは常識的ではないと言っておいた。

また、彼女のせいで私はこの島を出るのは事実なので、事実は伝えて出ていくとも言った。

 

5月14日

朝、夫に昨日は言いすぎたと謝った。

彼女のことは他の人にはもう言わないとも伝えたら、夫は「俺、〇〇ちゃんと付き合うつもりはないから。2年間は恋愛できないし」と言った。

やっと少し、落ち着いてきてくれたとも思った。

 

午前中にバイト先に即日退職したいことをお願いし、夫の父親にも話に行った。

夫の父親は、「コロナウィルスにでも罹ったんだと思って、1度大阪でゆっくりして」と言いながら、支度金?をくれた。

私は必死に断ったが、結局手渡された。

 

夫に、今夜は一緒にご飯を食べる?と躊躇いながら言われたが、私は最初、気を使ってくれなくていいよと断った。

が、確かに最後なので食べることにした。

 

午前中は引っ越しの準備をし、午後は田舎でまだ行ったことのない場所があったので夫の車を借りて1人で出かけた。

コロナウィルス中なので人が誰もいなく、田舎に来て初めて大声で泣いた。

ここは隣も近所も知り合いばかりで大声で泣くこともできない。。

 

夜、夫がテイクアウトの料理を買ってきてくれた。

夫の心を奪われた〇〇ちゃんのいるお店のテイクアウトだ。

鈍感というか、デリカシーがないところも改めてさすが夫だと思ったが、私はもう未練はなかったので普通に食べた。

お酒飲む?と聞かれ、水でいいと言ったが、結局ビール2本ずつと白ワイン1本を空けた。

その夜は9月27日以来、8か月ぶりに、テレビもつけずに色んな話をした。

今までのこと、これからの人生のこと、この8か月の間のこと。

 

義父から頂いた支度金も返し、ご祝儀も100万円も頂いていたので、それも返そうと話した。

 

夫はこれからは家族の時間を大切に、父や母の時間を大切にする。

仕事を一生懸命すると話してくれた。

昔の夫が戻って来たようで、私は嬉しくなってしまった。

 

私も老婆心ながら、、と、夫の今の性格のことと、将来、夫が義父の仕事を継いだ時に土下座をしてでもその仕事を守り家族を守る男になって欲しいということを伝えた。

夫は、今はよく分からないけど覚えておくと言ってくれた。

 

5月15日

夫に朝ご飯を食べるか?と聞くと、久しぶりに食べると言い、約5日ぶりに夫のためにご飯を作った。

作る最中から、なぜか涙が止まらなくなり、朝ご飯も上手く食べられなかった。

夫はそれをしきりに大丈夫か?と言ってくれ、そんなに優しい夫も8か月ぶりだったので、もっと泣いてしまった。

涙の理由は分かっていた。

未練が、出てしまったのだ。

未練なんて1つも残してはいけないと、自分にずっと言い聞かせて、冷静になろうと心掛けていた。

でも、昨晩、昔のような夫と話し、本当にどうしていいのか分からなくなった。

それでも、義母の両親のお墓に行きお供えをし、義父側の実家にもお別れの挨拶に行った。

田舎はサングラスを掛けるのが普通の場所で、コロナでマスクもしていたので、泣き顔を他人に見られずに済む。

それだけが救いだった。

 

お昼ご飯も夫に作り、一緒に食べた。

その後、荷造りをしようとしたが、どうしても進まなかった。

そう、帰りたくないと思ってしまったのだ。

 

その夜は義母の家で私の送別会をやってくれた。

夫の養母のような存在の方にも挨拶をできていなかったためだ。

早めに義母の家に行き、義母のお兄さん(夫の叔父さん)にも島を離れる挨拶をした。

涙を止めることができなかった。

 

その後、義母や養母、友人と義母の家で、お酒を飲んだ。

このことが良かったのか、悪かったのか、、義母が夫を呼び出したのだ。

3日前の夫であれば、この呼び出しに来ることはなかったと思う。

けど、夫は車ですぐに来た。

夫が来ると、養母は泣いて、泣いて、泣いて、顔を上げてくれなかった。

私も何も言えなかった。。

 

義母も泣いて、もう、親子の縁を切りたいと言った。

 

養母が最後に、あなたはここ(この田舎)で何がしたいの?と聞いていたが、夫はそれには答えなかった。

 

夫が養母や友人を送ってくれることになり、私は自転車で帰ろうとしたが、義母に車に乗れと言われて、確かに、自転車はもういいかと思い、車に乗った。

 

友人や養母を送った後、2人きりになった車内で「やっぱりお酒はダウナー系だから良くないね」と明るく言ったら「黙って、話したくない、一生口聞きたくない」と言われたしまった。

 

正直、この期に及んで私にこの状況の責任を押し付けるのかとガッカリした。

養母に今日、話すことも分かっていたはずなので、先に夫から話しておくこともできたはずだ。

でも、もう、私は夫に話すことを辞めた。

このまま未練を断ち切って、私はこの田舎を出ていきたいから。