田舎を出る その1
備忘のために、時系列に書いてみようと思う。
前回の日記以降も、毎日夫は不機嫌に口数少なく、ただ、淡々と日々を暮らしていた。
100年に1度のコロナウィルスという謎の敵が現れ、夫は夜のバイトがなくなり、一緒に友人たちと食事をしたりと、夫と一緒に過ごす時間は増えていた。
5月1日:結婚記念日
義母が祝ってくれるという誘いに夫が了解をし、親しい友人と1周年を祝った。
義母の友人2人から、ご祝儀を差し出された時、夫の気持ちが分からないため、私は受け取って良いのか分からず、躊躇した。
その後、車を置いて義母の家に入って来た夫は、そのご祝儀を受け取った。
私は、決して前向きではないが、夫が結婚生活を継続する努力をしてくれているのだと少し安心した。
5月8日:
ご祝儀を頂いた2人に内祝いを選ぼうと、私が夫に話しかけると、夫も同意した。
「ビールならクラフトビールがいいんじゃない?」という夫の提案で、私が2つの選択肢に絞り、夫が最後に「こっち」と選んだ。
(もう片方は私の実家の市町村のクラフトビールだったが、そちらは選ばなかった)
5月9日就寝前:
「コロナが収まったら、やっぱり離婚をしたい」と突然告げられた。
2月以降、2人の今後について初めて夫から話をされた。
結婚式をしたかった、子どもが欲しいなど、妻である私に面と向かって言われ、本当にもうダメなのだなと。。。
私は突然すぎて何も言えない・・・と伝えた。
また、夫に「〇〇ちゃんのことが好きだよね?」と聞くと、「うん」と答えた。
その日の夜から、夫は私と別の布団で寝だした。
私は一睡もできなかった。
5月10日(母の日):
全く眠れないまま朝を迎え、実家の母に電話をした。
母も、もう、帰っておいで、もう決心しな、と私に話した。
朝から義母に準備していた、母の日のプレゼントを渡しに義母の家に行った。
昨晩、夫から話された内容を義母に伝え、もう、本当にどうしようもないと思う。。。と告げた。
義母は、「私からも話す」と言っていたが、正直、夫に義母の言葉は届かないと私は思っていた。
夕方に頂いたご祝儀は1人で返しに行った。
相手も夫に原因があるなら、夫から返しに来るべきだと怒っていたが、何とか受け取ってくれた。
その日の夜、夫は友人とイベントの打ち上げに出かけた。
〇〇ちゃんもいる打ち上げだ。
私は行けるわけもなく、前日、眠れていない疲れもあり、18時くらいには寝てしまった。
夫には、こちらの家には帰ってきて欲しくないので、実家に帰って欲しい、今後について、話す準備ができたら、こちらに来て欲しいと伝えた。
夫は、打ち上げの最中に「分かった、明日帰るね」と告げたが、結局実家には帰らず、車で寝たようだ。
5月11日:
午前中に夫が帰って来たので、今後について話し合うのかと思ったが、着替えてすぐにどこかに行ってしまったので、さすがに怒った私は夫に電話をし、話し合いのために帰って来たのではないか?と言った。
が、お昼に帰ると夫は言った。
(夫の性格上、14時か15時くらいになるんだろうなと予測していたら、その通りで呆れた。)
夫への気持ちは頭では整理がつき、取れるもの(お金)は全部取ろうという気持ちになっていた。
話し合いはこっそりレコーダーで録音をした。
言った、言わないで、後で揉めることが目に見えたいたからだ。
・生活費とその期間
・慰謝料
・離婚のタイミング
夫は、慰謝料のみで、生活費は払えないと言ってきた。
離婚自体はそんなに急いでしなくてもいいと言っていた。
(好きな子がいるのに??と思ったけど、そこは敢えて黙っていた)
私は1つも譲るつもりはなかった。
月の生活費もその期間も、慰謝料も、離婚のタイミングもだ。
慰謝料の額によって、離婚のタイミングは決めたいと伝えていた。
300万なら2年後
400万なら1年後
すぐに離婚したいなら500万
夫は2年後の額を提示してきた。
夫が今の女性への想いや、性格を直そうという気概もないことが良く分かったので、正直、私も諦める気持ちになった。
話し合いを終えて、録音をした後、その額なら離婚は2年後になるよ?と言ったら、分かったと彼は言った。(が、そこを録音していなかったのは至極失敗だった)
生活費について1日考えたいと言われた。
その日の夜はもう1人の人にもお祝儀を返した。
泣きに、泣いたが、田舎を出る決心はついていた。
その2に続く